「論語の算盤」で持続可能な森林は?ー渋沢栄一の中の森林の位置(2020/3/15)

NHKの大河ドラマ、60作目の今年の主人公は渋沢栄一、題名は青天を衝(つ)け

毎年面白がってみている大河ドラマですが、10,000円札の顔、「日本資本主義の父」で生涯に約500の会社に関わり、同時に約600の社会公共に尽力(渋沢栄一記念館)

その渋沢の業績がいまの、ビジネス社会とどうかかわり森林をどのようにみていたのかな?

たくさんあるネット上の情報や「論語と算盤(そろばん)」などを読んで少し情報収集をしてみました。

(SDGsと渋沢栄一)

金儲けと道徳、と一人も取り残さない社会。今の社会をリードしている企業の社会的責任論につながります。

渋沢栄一の子孫、、渋沢健氏:『論語と算盤』の現代的かつ地球的規模での実践がSDGsであり、これをさらに一歩進めて、投資と結びつける「SDGs投資」であるーSDGs投資 資産運用しながら社会貢献』「資本主義の父」渋沢栄一、SDGsとの深い関係

国学院大学杉山里枝:現代において、自社の経済的活動とCSR(企業の社会的責任)を直結させるのは困難なケースが多々あります。しかし、渋沢が最も大切にしていた「継続性」という観点に立ち、自社が目指す将来像を実現しうる社会(良い人材を育成するための教育システムや豊かな生活環境など)を作るためには、どのようなCSRを行えば良いのかを考えてみると、これまでとは違った施策が出てくるかと思います。渋沢栄一から学ぶ次世代型CSRのヒント

(算盤は資本主義、論語は不平等への対応?それでは)

資本主義の行きついたグローバルマーケットは、市民がコンビニに行けば世界中の資源を組み合わせて作った便利な製品を安く買えるシステムを作り出し、そして、世界中の情報を皆が共有するインターネットの社会など、だれもだれも思っていなかったシステムを創造してきました。

が、不平等の拡大(-なぜ1%への富の集中が加速するのか-)と、地球環境危機の悪化(人新性の資本論など)など非常事態を加速させています。

私が「論語と算盤(そろばん)」という本を読んんでみようかなと思ったのは、資本主義(算盤の世界)の父が、「不平等の拡大」というリスクをしっかり踏まえて、道徳を論じ、社会福祉の世界に晩年をささげた(論語の世界)というストーリーのことはわかるんだけど、環境危機のようなことはどんな認識だったのかな?そして、森林のような目先の収益と別の社会的視野をもって管理していかなければならない問題をどのように、処理していたのかな、という問題意識でした。

(王子製紙と渋沢栄一)

森林とかかわりがありそうなのが、創設にかかわった王子製紙。

「明治維新後、渋沢栄一は、あらゆる事業を盛んにするためには、人々の知識を高める書籍や新聞などの印刷物の普及が必要で、そのためには安価で大量印刷が可能な洋紙製造をすべきと考えます。そして、明治6年、抄紙会社(後の王子製紙株式会社 現・王子ホールディングス株式会社の前身)を創立」したんだそうです。企画展 渋沢栄一と王子製紙株式会社 〜国家社会の為に此の事業を起す〜

金もうけのためのビジネスでなく、社会の将来のための投資が王子製紙だったのですね。

それでは、そのインフラの立地は、原材料木材の入手を視野に入れて・・・・なんで、王子だったのでしょうか?

「工場立地条件の一つに、東京近郊であることが挙げられていますが、これは当時の製紙原料は、古着などの「木綿ボロ」でしたので、人口が多くて、その発生量が多く集荷しやすい都会地が適していたのです。また、市場が近いということのみならず、渋沢栄一自身が工業思想を鼓舞奨励するのに政治の中心である東京に近いことが、条件に合っていたわけです。」ここ王子が洋紙生産の地に選ばれた理由

なんだそうです、その後、欧州の技術の流れをおって、木材パルプによる製紙が試みられ、木材の効率的な調達の観点から、明治43年(王子で工場が操業した明治5年から38年後)に苫小牧工場が操業がされました。

渋沢栄一社史データベースというすごいサイトから王子製紙山林事業史という資料を見ることができます。

渋沢栄一は実業の世界をリタイアしたあとなので、本人の森林に対する考え方は直接出てきませんンが、製紙メーカーが自社の森林を管理するシステム作りをしてきたことは、間違えないです。

今後、日本の製紙ビジネスの方々も、ビッグビジネスの社会的責任で、日本の森林管理の行く末、今後の展開、渋沢栄一だったらどうなのか、議論を深めてほしいですね。

晩年渋沢は東京都北区西ヶ原に居をかまえ、ここには現在渋沢史料館などがあります。この場所は創設した王子製紙が見渡せる場所で、500近く創設にかかわる、会社のなかで、王子製紙が大きな存在だったのでしょう。

(吉野林業と女子教育と渋沢栄一)

ご案内の様に渋沢栄一が、日本の女子教育にかかわり、日本女子大の創立にかかわり、第3代校長をしました。その創設過程の重要な役割を果たしたのが、奈良吉野林業の山林王土倉庄三郎でした

「日本女子大の創設者である「成瀬仁蔵」が「大阪梅花女学校」の教師であったときに、「庄三郎」がとみ子、まさ子、大糸、小糸、すえ子などの6人の娘の教育を託しています。当時は女学校へ上がるということ自体が珍しく、しかも吉野の山奥から率先して女子を出すということは驚くほどの英断であった時代

「成瀬」が明治29年(1896年)に「女子大学創設案」を発表したとき、吉野の山林王「庄三郎」は巨額の基本金づくりを計画し、協力して寄付金を募り、自らも多額の設立資金を寄付して、「日本女子大学」創設への協力を惜しみませんでした。

吉野林業を次の500年へ吉野かわかみ社中) 

明治中期、我が国で都市のインフラを支える唯一の資源であった木材の、供給ビジネスや供給基地の管理をしていた林業。当時のビジネスの中心の一つに林業や木材問屋があったんでしょう。

その中心人物が、次世代を見据えた広い視野から、女子高等教育や、自由民権運動などを支えていた構図が見えてきます。

その後、化石資源が席巻した新たな社会が生まれ、森林ビジネスは後ろに下がっていましたが、150年たって、今度は、カーボンニュートラルに向けた循環社会をつくる新たな時代。

森林に関係するビジネスが、また社会に中心になって来るのでしょう。

青天を衝(つ)け楽しみですね。

junkan10-1<shibusawa-sinrin>

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