南東アラスカクルージングの旅(2006/10/ 9 )

「フィヨルドの原生林から日本の神社へ――つながる環境の輪」

藤原美佐子

皆さんがアラスカと聞いて連想するのは、オーロラ?北極熊?氷河?マッキンリー? おそらくこのリポートで取り上げる南東アラスカを思い浮かべる人は少ないだろう。カナダに接する細長いメインランド(大陸本土)と大小1000以上の島々からなる、フィヨルド地形の海岸線が入りくんだ地域で、沿岸を流れる暖流がもたらす温暖多雨の気候は、カナダを含むこの一帯に世界最大の温帯雨林とその恩恵を受けた豊かな生態系を育んだ。この美しい多島海地域の大自然の中を、野生動物たちに囲まれてモーターヨットHERON(あおさぎ)号で旅した1週間のことを、ぜひ皆さまにお伝えしたい。

ロシア時代の古都シトカで

シアトル、ジュノー経由でバラノフ島にあるシトカ空港に着いたのは夜中の12時過ぎ。パスポートチェックも何もなく、本当にここはアラスカ?まるで田舎駅の待合室だが、気がつくと入口に大きなグリズリーの剥製が牙をむく。やはりアラスカに来たのだ。翌朝町に出ると、ロシア正教の寺院が見え、土産物屋にはマトリョーシカが並んでいる。先住民族クリンギットとの戦いに勝ち、ロシアがアラスカを植民地化した19世紀初めから、シトカはアラスカの首都として栄え、1867年に米国領となってからもジュノーに遷都される1906年までは州都だった。

シトカ・コンサベイション・ソサエティ(SCS)という自然保護団体のオフィスで今回のツアーの仲間と顔合わせした後、主催者の世界温帯雨林ネットワーク(WTRN)のマリと案内役の海洋生物学者のブライアンからツアーの説明があり、その後手始めに近くのインディアンリバー・トレイルの森を視察した。仲間の顔ぶれは、国際環境NGOで森林関係の研究をするケンイチ、環境系財団でロシアの違法伐採などについて調査するユキ、SCSでボランティアをする日本の大学生ユウキ、持続可能な森林経営の研究をするタカシ(夫)、と私。

インディアンリバーの森は、川沿いの道が湿地帯まで続いている里山のような明るい森だが、日本の森とは著しく様相が異なり、数種類の木しか見あたらない。氷河に剥ぎ取られて土壌が薄く、地質学的に若い南東アラスカには、シトカスプルース(米トウヒ、エゾ松の仲間)、ウェスタンヘムロック(米ツガ)、イエローシーダー(米ヒバ)の3種の針葉樹と、たった1種の広葉樹レッドアルダー(米ハンノキ、白樺の仲間)のほぼ4樹種しか成育していないのだ。

下草もシンブルベリー、ハックルベリー、棘が葉の裏にまであるデビルスクラブ、巨大な小松菜のようなスカンクキャベジなど、見慣れない草や灌木が目をひく。スカンクキャベジは湿地帯にはえ、水芭蕉にそっくりな黄色い花は毒をもつが、冬眠からさめた熊がお腹をすかせてまず食べるのが、これの新芽だと聞いた。

川にはピンクサーモンが押すな押すなと産卵のために遡上している。この付近にはかつて日本資本のパルプ工場があり、河川の水質汚染がひどかったが、1993年に撤退した後、水質は改善し、今は上水道の水源にもなっているそうだ。ホテルの水道水はとても美味しかった。

オフィスに戻り、その日の夜に予定されていたSCSとの交流会のためにレクチャーを受けてから町へ買い物に。明日からのクルージングに備えて漁師用長靴を買い、ハンターズスティックというトナカイの肉のソーセージを見つけたのでお土産に買ってみた。

原生林の最大の輸出先はなんと日本!

南東アラスカの温帯雨林の80%を占めるのが米国最大の国有林、トンガス・ナショナル・フォレスト(インディアンリバーもその一部)で、15%が国立公園、5%が民有林となっている。これらの森は、最終氷河期後1万年の間、自然更新を繰り返してきた針葉樹の天然林で、古代から先住民の生活の糧となってきた。前述の単純な植生のお陰で、まるで植林したように生えそろって見えるが、多くは伐採など人の手が一切入っていないオールド・グロースと呼ばれる原生林だ。特にその内の4%しかない巨木群の7割がこの40年間で伐採され既に消失したという。アラスカ木材の最大の輸出先は日本で、その量たるや何と全体の4割以上だというが、さらにショッキングなのは、千年クラスの太い米ヒバのオールド・グロースが何に使われるかというと、日本文化を代表する神社仏閣を含む日本の伝統的木造建築だというのだ。  

SCSなど地元の市民団体やWTRN、グリーンピースなどが参加して行っているアラスカ温帯雨林キャンペーンは、運動の一環として、日本から住宅メーカー、神社関係者、楽器メーカー、木材関係者などを招き、南東アラスカの守るべき原自然や生態系に悪影響を及ぼす持続不可能な伐採、クリアカット(皆伐)の実態をアピールし、国有林からは買わず、民有林の丸太も量を抑えて森林認証材のみを買うよう呼びかけている。私たちは利用者の立場からグリーン購入を考えることを求められている。 

雨林と動植物ウォッチングのクルーズへ

翌朝チャーター機でクパノフ島のケークに飛び、問題の多いクリアカットの現場と鮭の養殖場を見学。ブラックベアの親子が何組か食事するところも見えた。今年は春から低温で雨が多く、ワイルドベリー類の実が少なく、鮭の遡上も遅いので、熊が飢えているから要注意とのこと。小さいブラックベアと大きいグリズリー(こちらではコスタルブラウンという)は共存できないので、クパノフ島はブラックのみ、前のバラノフ島はブラウンのみ、メインランドは逃げ場があるから両方いるのだそうだ。

先住民族(アラスカには20種族ほどいるが、エスキモーより早くからいたクリンギット族やハイダ族などは、南東アラスカに居住している。)の森林所有会社の株主、米国のギターメーカー社長(シトカスプルースはギターの響板になくてはならない。)、グリーンピース、環境省の人などと交流会をもった。SCSとの交流会や上記の交流会は大変意義深かったが、またの機会に報告する。

さて、いよいよHERON号に乗船し、待ちに待ったクルージングの始まりだ。これから6日間、動物園でも見たことがない動物たちに次々と遭遇することになる。穏やかな海には、鯨、アシカ、アザラシ、ラッコなどの哺乳類や、5種類の鮭、オヒョウなどの魚。地上にはリス、シカ、オオカミ、ブラックベア、グリズリー。空には白頭鷲、ワタリガラス、アオサギ。森と海の生態系は一体として保たれている。

 夜は8時半まで明るいので、夕方までに早速下船して典型的な南東アラスカの原生林を歩いた。樹齢数百年から数千年くらいの木には藻のような地衣植物がからみつき、地面はビロードのような苔に覆われ、下草は殆どなく、Nurse log(倒木から新しい木が生えている倒木更新)が至るところに見える。第一印象は「もののけ姫」の森。あの森のモデルの屋久島は非常に多雨で、ここと条件が似ているのだろう。違うのは、屋久杉がないことはもちろんだが、スプルースとヘムロックしかなく、しかもスプルースの実生の幼木がないこと。一体どのように再生してきたのだろう。何千年もの悠久を感じた。

HERON号の船長と料理長

スコット&ジュリー夫妻、強靱な意志と体力と技術でワイルドライフをリードするスーパーカップルだ。彼らは16才のとき漁船を自分たちで買い、漁師をした後、カリフォルニアの大学でそれぞれ地理学と環境学を学び、漁船を観光用クルーザーHERON号に自ら改造し、各国から来るゲストに南東アラスカの原自然を案内している。スコットは自分で木を削って作ったギターで自分の作曲した曲を弾き、星野道夫さんに釣りを指南したこともあるという。

ジュリーは山から採ってきたクランベリーやサーモンベリーでスコーンやパイを焼き、キノコのサラダをつくり、船で釣った鮭やオヒョウをさばき、氷河まで氷を取りに行く合間に蟹とり網をちょっと仕掛け、生活の糧を森と海からしっかり頂くナチュラルライフを実践している。

そして問題行動を起こした子どもを預かり、自然の中で一緒に暮らすという活動をしているNPOの理事を務め、冬は図書館の司書をしている。まさにグリーンツーリズムのリーダーに相応しい、海苔巻き煎餅が大好きなふたりだった。


ザトウクジラのバブルネット・フィーディングとルコンティ・グレイシャー

群れをなしてシャトルボートを冷やかしに来る若いアシカの偵察隊や、カヤックから遠巻きに眺めたグリズリーなど、枚挙にいとまがないが、最も感動した自然の営みとしては、この2つが圧巻だった。

バブルネット・フィーディングというのは、10頭以上の鯨が歌を歌いながら泡を出しながら海中を輪を描いて泳ぎ回り、大量の泡が立ちのぼって網のようにニシンの群れを囲い込んだところを、一気にみんなで食べるという荒わざの漁法だ。これを一日中続けて餌を採っているのだという。まさに生態系の頂点にいる大型哺乳類の知恵だろう。底辺の小魚が少しだけ減ることで、頂点の鯨は絶滅の危機に陥ると言われるわけが実感できた。

そしてアラスカで氷河が海に滑り落ちる最南端の入り江、ルコンティベイ。厳冬の出で立ちで流氷の中を進むうち、ガリガリと船底を削る音がして、タイタニックの恐怖がよみがえる。初めは小さいが、段々真っ青で大きな流氷が増える。まるでかき氷のブルーハワイの色だ。かき氷もグレイシャーと改名すべし。なぜ青いかというと密度の高い氷が波長の長い光は全部吸収し、紫外線と青だけ透過するのだとか。氷河の山に近づくにつれ周囲の山のU字型フィヨルドが顕著になり、とうとうはげ山になる。氷河が滑り落ちるなどという表現は間違っていた。雷が10m先に落ちたようなドーンという轟音とともに崩落するという感じだ。1日に2m流れると聞いたが、間違いだったかも知れない。1時間に5mは崩れたようだ。

 沖合に停泊した大型客船から氷河見物のボートが繰り出されていた。漁業に依存していたアラスカは観光業にシフトしつつあるが、人々の多くはあまり賑やかになりすぎるのを嫌う。前出のシトカでは議会で決まった港の建設が反対運動でストップしているという。町のバランスを知り、身の丈にあったボリュームを求める賢い市民だと思う。生態系を実感し座学をフィールドで試すというグリーンツーリズムには相応しいところだ。

市民の国への思い、行政の民間企業に対する無関心

アラスカ州では先住民は民有林に私有権を与えられ森林所有会社を運営しているが、国有林を国民の共有財産だと考える市民団体や環境NGO等が、国の伐採計画に関して、木材需要の算定の誤りやパブリックコメントを含む対案の検討の不備、クリアカットの害などを争点として行政訴訟を起こし勝訴したそうだ。これは国有林に対する判決だが、80%の面積の国有林より5%の民有林の方が過剰伐採によるダメージは深刻で、既に民有林の資源は残り4~5年という調査結果が森林所有会社自身から出されているという。権利を的確に行使できず森林資源の枯渇を招いた先住民の権利者は、この判決を他山の石として、FSC森林認証を検討するなど森林経営の改善に着手している。

一方敗訴した国のレンジャー・ディストリクト(営林署)は計画の見直しをしているというが、最後の日に話を聞きに行ったとき、民営企業の経営改善を支援したり、民間に配慮した計画にする考えはないかと尋ねたところ、言下に否定した。民間企業の森林利用は自分の権利の行使なのだから、自分で責任をもつべきで、それができなければ権利を放棄するしかないと考えているようだった。突然の外国人の来訪者に対する紳士的な態度とのギャップに少し驚いたが、アメリカの特徴と限界を見たような気がした。

 ひるがえって日本のことを考えてみた。外国から材を輸入するということは、輸送距離にかかるエネルギー問題もさることながら、その材がどこでどのようにして生産されたか見えないということも大きな問題をはらんでいる。自分たちが消費することが産地の環境や人々の生活に与える影響を知ることが、どのような消費行動をとったらよいか考えるつてとなる。日本の伝統文化である木造建築の古来の様式は守りたいが、そのために輸入している木材の生産国で、伐採による被害が生じていることを、日本人として私たちは知っていなければならない。そういう意味で今回のキャンペーンは大変画期的で有意義なものだったと思う。私たちは生産地から消費地への環境の連鎖を意識し、生産地の自然環境や社会環境に敏感であり、フェアを求める感覚を研ぎすまして発信し行動していければと思う。

ピータースバーグで下船、ランゲル、ケチカン経由でシアトルへ

HERON号の母港、ミトコフ島のピータースバーグで下船、信じられない体験を共にした仲間と別れを惜しんだ。WTRN日本支部をたったひとりで運営するマリはシアトルからサンフランシスコの本部へ。ケンイチとユキは同じくシアトルから日本へ。飛行機の時間が遅い私と夫だけ、レンジャーのオフィスを訪ねたり、お土産を見つくろったり、ピータースバーグの町を楽しんだ。レッドアルダーの葉を形取った銀製のピアスと、漁業の町ならではの魚を冷凍パックにして日本に持ち帰ることにする。夕方尊敬するスコット&ジュリーに見送られ、アラスカ航空に乗り込んだ。
 途中、隣の席の少年が“Huge! Huge!”と興奮するので窓の外を見ると、ランゲルの上空から延々と続く巨大な干潟が見渡せた。一生忘れられないツアー最後の信じられない光景だった。

 

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