ブラジルのリオデジャネイロで開いた国連持続可能な開発会議(リオ+20)が22日に閉幕した。1992年にリオで開いた国連環境開発会議(地球サミット)から20年の進展を点検し再出発の場とするのが目的だったが、成果は乏しかった。
190カ国・地域の首脳らが参加した3日間の会議が生んだのは53ページの成果文書だけだ。環境と経済成長の両立をうたう「グリーン経済」の重要性などが盛り込まれたが、具体策を欠く。各国が共通して掲げる「持続可能な開発目標」も具体的な中身や数値は来年の国連総会に先送りされた。
かつての地球サミットが気候変動枠組み条約など3つの条約を採択したのに比べて見劣りする。東西冷戦の終結後、環境の危機に一致して対峙しようとした、当時の国際社会の高揚感は今はない。
先進国は財政や金融の危機への対処に追われ、存在感を増した新興国はさらなる成長を求める。環境悪化はだれの責任か、押し付け合いの論議ばかりが目立つ。野田佳彦首相やオバマ米大統領ら先進国首脳の多くが会議を欠席したのは遺憾だと言わざるを得ない。
私たちは20年前「国連環境会議は新しい世界の出発点」と題した社説を載せた。経済成長の追求だけでは世界の持続的な発展は難しいとの認識にたち、環境への配慮や途上国の貧困と人口問題に先進国が知恵と資金を出す時代が来たと主張した。優れた環境技術を持つ日本の役割は大きいとした。
現実に消費者の意識はエコ志向を強め、多くの企業が温暖化ガス削減や生物多様性保護を重視する。エコカーや再生可能エネルギーも急速に普及しつつある。
そうした変化にもかかわらず、地球環境の悪化に歯止めがかからないのは、資源の消費や開発の加速に比べ、対策のスピードや規模が不十分だからだ。気温上昇で北極の海氷は薄くなり森林は減り続け、世界の5人に1人がなお極度の貧困にある。
リオ+20で持続可能な開発の道筋が示せたとは言えない。地球環境や貧困は人類の生存がかかる安全保障の問題といえる。先進国に中印、ブラジルなどを加えた主要国はいま一度、危機を直視し真剣に対策にあたる必要がある。
国連の枠組みの限界も指摘される。政府主体の国連とは別に、企業や市民が力を出せる新しい協力の仕組みを考えることも大事だ。