ドイツと欧州の森林意識とその背景(2016/11/27) | ||||
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林業経済研究所の前任所長山縣光明氏が上智大学で、「ドイツの自然保護の思想的潮流を求めて」という講演をするというので、聞きに行いきました。 (ドイツにおける森林意識の源流) 「環境保全には、劣悪な都市の生活環境からの保全・改善と、貴重は動植物の保全、美しい景観を護という二つの側面(源流)があり、それが、現在の持続性(ドイツ語ではNachhaltigkeitというのだそうです)につながる」
このロジックを、ロマン主義などのたくさんの文学作品によりそいながら、解説、という質の高い講義でした。 といっても、あっという間のことだったのでよくわからないところがたくさんありましたが、これは上智大学にくればもっとよくわかるよ、という巧みな情報戦略かも。 以下にレジメを置きます。
詳しくは、当日配布された参照すべき文献のデータを、本人からいただいたのでこちらを参照ください。 16世紀から「森への思いやりという心の持ち方(W (「チャタレー夫人・・・」による19世紀英国の森林意識) これには、小学校のクラス会で聞いた、「チャタレー夫人の恋人」(D.H.ローレンス)というイギリス文学作品の中身との関係でした(突然妖艶な作品名が出てきて申し訳ありません)。小学校の同級生であるT君が東洋大学文学部でこの作品を研究していて、久しぶりのクラス会で講義とビデオを見るという企画だったのですが、ローレレンスの作品意図は、明と暗、精神と肉体、上流階級と労働者階級。町と森という二項対立で読み解く、との解説です。その二項対立の一つに「町と森」というのがあるがの気になった点でした。 (ご存知の通り)貴族の夫人(コニー)と使用人(メラーズ)とのラブストーリーなのですが、「その使用人を森番としたところがローレンスの重要なポイントなのだなー」などと。産業革命をけん引する明るい英国の町、の対岸にある暗い森。これが強調されるほど、最後の森番と貴族の夫人が二人でカナダに向かう結末が、劇的になるという趣向なのだと理解していました。 チャタレー家が炭鉱を経営する事業者であることもポイントで、エネルギー源としての森林の管理という側面が全く失われた瞬間に、暗い森になったのではないか。 いずれにしても、森林にいろいろな面で日が当たりつつある(面がある)日本の現代、それに至る過程の市民の心象にある森林像が、どんな道筋で何をきっかけに変化してきたのか、いないのか、海外の事例など、興味深くこの勉強部屋でも追いかけていきたいですね。 (キリスト教と自然破壊?) 講演会で山縣講演をめぐて議論があったのが、標記のキリスト教徒が人間と自然との間の不適切な関係の源流を形成しているのでないか、という点。(キリスト教にかけられた“嫌疑”) 山縣さん、T君よろしく。 junkan7-1(origineroforest) |
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