牧野富太郎と四国の国有林(と私)(2023/6/15)

NHKの朝ドラ、2023年春から108作「らんまん」

主人公のモデルは日本の植物学の創始者というべき、高知出身の牧野富太郎

植物学と森林は、森林を管理するうえで、最も基本的な情報の基盤ですので、森林管理するシステムとはいろんなつながりがあるはず。ということで、ネット上を探していたらありました。

四国森林管理局が、牧野富太郎が歩いた「国有林」という丁寧なページを作成しています。

1934(昭和9)年8月20年ぶりに高知に帰省した博士(73歳)が、国有林の、高知県東部の天然魚梁瀬ギをを中心とした千本山保護林と、高知県中北部、天然ヒノキの群生地であった白髪山保護林の二か所を、6日間かけて国有林の職員と一緒に植物採集をしてまわった経緯が紹介されています。

私も四国の国有林には、すこし土地勘があるので・・・解説すると、二つの保護林は、四国の国有林の中でも、どちらも数百年にわたって藩有林時代から管理されてきた貴重な植生群なので、博士にとっても良い旅だったとは思います。そして、国有林の職員が何を聞いても丁寧に答えていただけた、コミュニケーションが、印象的だったみたいです。

是非ご覧ください

オリジナルデータはサイトの説明によれば「植物学者・牧野富太郎博士の行動は、牧野植物園側で「牧野富太郎植物採集行動録」として整理され、その中では、千本山(現・高知県馬路村)や白髪山(現・高知県本山町)への訪問があったことを示す文献として、「高知林友」が引用されています。

「植物学界の権威牧野博士の指導日程」高知林友第171号(昭和9年9月)
「牧野先生にお伴して(計画宮崎榊)」高知林友第172号(昭和9年10月)(右の図)

(「高知林友」誌)

高知林友という雑誌わたし(藤原)も知っています。

私が林野庁に採用されたのが1972(昭和47)年5月(牧野先生の来訪時から40年)、それから5年ばかり高知営林局管内に勤務しました。そして、計画課のというところで仕事をしているとき、藤沢秀夫課長から、高知林友誌に、「四国の国有林の歴史をしらべて、記事を書きなさい。」「はーい!」

「四国の国有林の生い立ちと施業計画」(高知林友1975年9月号「特集地域施業計画と四国の国有林」に掲載)(藤原が記述したとは書いてありませんーけど、間違えないですよー))

四国の国有林が藩政時代からどのように引き継がれ、更新がなされ、紆余曲折を受けて管理されて来たか?を書いています(よまなくてもよいですよ)。記事から一枚のグラフを紹介します。

左の図は、牧野先生が訪問した1934(昭和9)年という時期が国有林の動向の中で、どんな時期だったのか?がわかるグラフ。

1900(明治33)年から1974(昭和49)年まで75年間5か年ごとに、伐採後が新植されたか天然更新されたか面積を示す棒グラフです(p37)

明治から大正にかけての四国の国有林は伐採跡地は皆伐でほどんどスギヒノキで新植(グラフ灰色の斜線部分)赤〇部分。「国有林の特別別経営時代といいます」これが、戦後国有林の財産になった集積(個人的な感想)

そして、緑の〇は、皆伐でなく択伐施業で天然更新が主流に(特別経営時代の大規模植林への批判的な議論が進展)(ドイツの恒続林思想の輸入)となったんですが。ちょうどその時期が牧野富太郎先生が訪問した時期ですね。青い↑�

高知林友に藤原が書いた記事と、牧野先生の高知の国有林訪問はあまり関係なかったかもしれませんが、ちょうど政策の転換点の時期だったので、その背景となった欧州の森林管理の考え方や、国有林の将来の姿などが、話されたんではないかなーと推測しました。

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