Special Studies 4
Trade
and Environment
By
Haken Nordstrom
and Scott Vaughan
WTO
Executive Summary 1
I. Introduction 9
II. Causes of Environmental
Degradation and the Interaction with Trade 13
A. Chemical-intensive agriculture 14
B. Deforestation 16
C. Global warming 18
D. Acid rain 20
E. Overfishing 21
F. Concluding remarks 26
III. General Equilibrium
Linkages Between Trade and the Environment 29
A. Theoretical overview 29
B. Empirical overview 31
C. Applied models 33
D. Concluding remarks 34
IV. Does Economic Integration Undermine Environmental Policies? 35
A. The competitive consequences of environmental regulations 36
B. Do environmental regulations induce the relocation of firms? 38
C. International evidence 39
D. Restraining factors that prevent the migration of polluting
industries 40
E. A race-to-the-bottom, a race-to-the top, or no race? 41
F. Empirical evidence of regulatory races and chills 44
G. Concluding remarks 46
V. The Relationship Between
Trade, Economic Growth, and the Environment 47
A. Theoretical overview 49
B. Is economic growth sufficient to induce environmental
improvements? 51
C. Empirical evidence 52
D. International trade and the EKC 54
E. Concluding remarks 57
VI. Concluding Remarks 59
Bibliography 61
Annex I: Trade and
environment in the GATT/WTO 67
Annex II: Report by
Ambassador H. Ukawa (
Measures and International
Trade, to the 49th Session of the Contracting Parties, L/7402 (without annexes)
87
Annex III: Report (1996) of
the Committee on Trade and Environment, WT/CTE/1,
(Section III, Conclusions
and Recommendations) 97
Annex IV: List of
derestricted CTE documents 103
Annex V:
WTO貿易と環境に関する特別報告要旨
抄訳
藤原敬
世界の経済はこの50年間に大きく変わった。経済活動の規模は拡大し、世界のGNPは半世紀前の6倍となった。この間、通信と情報技術の進歩、貿易障壁の縮小、海外投資障壁の縮小の3つの要素によって国際的経済統合が進んだ。これらの要素により国際交易のコストを大幅に下がり、各国の特定セクターへの特化、作業工程の他国への分担などにより貿易が拡大した。1950年に比べて貿易は14倍になった。
国際経済の拡大は、森林の減少、生物多様性の消失、地球温暖化、大気汚染、オゾン層の破壊、などの環境劣化を伴った。これらの劣化の一部は人口の増加によってもたらされている。環境や資源に対する圧力は25億人から60億人に増えた人口により厳しさを加えている。さらにこの傾向は継続する見通しで、次の100年には100億人となるとみられている。その上人口一人当たりの消費量が少なくなる兆候は現れていない。現在のトレンドで行けば、2035年には一人当たりGNPは2倍、2070年には4倍となる。現在の環境に与えている負荷を考慮すれば、資源消費の抑制や排出物の抑制に関する厳しい手段を講じなければ、持続可能発展はあり得ないと推測できる。
適切な環境税や環境施策の導入が遅れる理由の一つとして多国間貿易システムがあげられ非難されてきた。法的な側面と政治経済的側面の二つが議論されてきた。法的な側面ではWTOルールが環境政策の導入を阻害していると批判されている。また、他国が自国の環境政策を批判する場合それを貿易に対する権限を侵すものという形で反論する法的な手段(庇護)を与えていると批判されている。政治経済的な議論としては、継続的な国際マーケットからの圧力の下で、環境政策の強化に対する政治的な支持が得にくくなるという面があるというものである。投資や雇用に関係するコストが、規制へのエネルギーを削ぐこととなる。最悪のシナリオは、冷酷なマーケットシェアと投資と雇用の競争のために環境規制が断念されることである。
環境グループは国際貿易が世界中に劣悪な環境政策を普及すると指摘している。例えば、国際市場は漁業における過剰捕獲の傾向を助長する。さらに一般化すれば、貿易によって助長された経済成長により、適切な環境配慮がなされない場合、環境悪化を促進する。以上の論点がこの研究で取り扱われている。
本研究の目的
貿易と環境の議論で不幸なのは、加熱して道筋が見えないことである。どちらの側からもしばしば極端な一般化の議論がされる。この研究は一般の議論に隠れて行われてきた研究の成果を元に建設的な貢献をしようとするものである。法的側面について本論では直接ふれておらず、貿易と環境委員会の議論経緯・主要論文などの形でannexで取り扱われている。
取り扱われている主要課題は、@貿易と投資による経済統合は環境悪化の原因となるか、A貿易は、汚染や天然資源の劣化を規制する政府の努力を抑制することとなるか、B貿易により助長された経済成長は世界の環境資源の合理的な利用に裨益するか、などである。
我々は経済統合が環境に重要な影響がある、という点を議論せねばならない。経済統合は各国が自国を中で規制をする力を弱めている。もちろん、貿易が無くても各国は生態的な意味で相互に依存している。生態系は国境を越えてつながっているし、汚染物質は大気や河川により越境して運ばれる。重要な点は、むしろ経済的な国境の壁が解体する状況は、環境の協力の必要性を強めていると言うことである。特に国境を越えた地球規模の環境問題は各国の管理能力を越えている。このことが、この研究の主張点である。
環境劣化の原因
貿易が持続可能な発展の議論になぜいつから関わるようになったかを知るために、環境劣化の基本的要因を明らかにすることが重要である。このことは市場と政策の失敗に行き着くこととなる。
市場の失敗は、市場の需給の力によっては、全体として最適な配分をすることが出来ない場合のことである。また、天然資源の不明確な所有権のが、別の要因になっている。いわゆる共有地の悲劇。
古い共有のシステムはうまく機能する場合はあるが、人口の急増、社会制度の変化によって機能を失うこととなる。
被害源が特定し、被害者の共同歩調についてのコストが安い場合は、汚染者と被害者の両者の満足する合意に達する場合がある。しかし、そうでない場合は市場による解決は困難となる。その場合、政府の仲介の役割が不可欠になる。
しかし、政府はしばしば、適切な環境税の導入や規制により市場の失敗を是正することを、怠るだけでなく、補助金の供与により自ら問題を引き起こす場合がある。政策の失敗。
もしも適切な環境政策が行われた場合、貿易は明白に便益を向上させる
汚染者負担の原則により環境コストが内部化され、税や規制により汚染源において直接市場の失敗が是正された上、政策の失敗が回避された場合、貿易自由化は明白に便益を向上させる。しかし、貿易の自由化は不適切な環境政策の結果を助長する働きがある。例えば森林の管理が不適切な場合、国際マーケットの需要が持続可能でない木材生産を助長する。、適切な環境政策が導入されるまでこれ以上の自由化は反対である、との、環境団体の主張の根拠となっている。また、漁業補助金のような措置を止めることにより、過剰捕獲を止めることが出来る。
このような関係を明らかにするため、この研究では、@化学農業、A森林の荒廃、B地球温暖化、C酸性雨、D過剰漁獲の5つのケーススタディをしている。これらの5つのスタディは幅広い環境問題のそれぞれの典型的なケースの分析となっている。
貿易制限は不適切な環境政策である。
ケーススタディの結論の一つが、環境問題は発生源で対応すべきであるということ。本来の問題と別の貿易問題などに標的を移すと、問題が不明確になるばかりか、問題が拡大する場合すらある。林産物の貿易障壁により森林を農地などに転用することとなる場合など。
しかし、貿易的手段は環境対策の第一の手段ではないにしても、多国間の環境協定に参加を促す手段として、また、外国の行動様式に変更を促す手段として、有用なものとみられている。この種の貿易手段の採用は、事前の約束の元、環境政策の義務として政府間の協定に基づくなどの、条件で行われない限り、多国間の貿易システムに危険を与える可能性がある。
もう一つの結論は、地域的な環境問題の場合、基準を国ごとに調整する必要はないと言うことである。ただし、地球規模の問題は国際的な調整が唯一の対策となるだろう。
貿易と環境の一般的な均衡関係
各セクターの詳しい検討により環境悪化の原因が究明される一方、このアプローチによっては一般的均衡効果(general equilibrium effects)と呼ばれる、セクターと国との相互関係を見落とすこととなる。貿易と環境についての一般的均衡関係のモデル分析の結果を要約しておこう。第一に、セクターにより公害を誘発しやすいかどうかという性格の差がある。例えばエネルギー産業とサービス産業を比較すればわかる。第二に環境政策が経済発展と共に強化される。これらを所与のものとすると経済統合の環境に与える影響は三つの要素すなわち構造的効果、規模の効果、技術の効果に依存する。
構造的効果は、ある国が国際マーケットにさらされた時点の産業の再編成と関係している。輸出が拡大するセクターが輸入品と競合するセクターより汚染型ではなければ環境によい影響を与える。ある国の輸出可能品は別の国の輸入可能品であり、すべての国がクリーンな産業に特化することはできない。貿易は、地球上での汚染問題の発生箇所の問題と関連しているのである。規模の効果は、貿易により促進された経済活動により発生する。経済成長は、仮に生産がクリーンで省資源型にならず、消費者がリサイクルに敏感にならないならば、環境に害を与える。経済成長に従い、きれいな環境に対する要求が強まる傾向がある。政府が国民の要求に応えるならば環境政策は所得の向上に伴い強められる。それは規模の効果を補完するか、それ以上の効果を現す。この効果は技術効果と呼ばれる。このような相互関係は理論的には不明確であり最後まで経験的な問題である。
どの国が生産の汚染に関する部分を分担するか。
この問に関する答は、自由化が行われたときどの国が汚染型産業を立地させるかという問の答と関係している。一般には汚染産業は先進国から規制の緩やかな途上国に移転し、汚染問題は豊かな国から貧困な国に転嫁され、世界的な汚染総量は増加すると理解されている。しかしながらこの考えは標準的な貿易理論や経験則に合致しない。
汚染型産業は、化学工業、非鉄金属・鉄工業、紙パルプ工業、石油精製業など資本集約的な傾向があり、古典的な貿易理論によれば、これらの産業は資本の集中している先進国に多く所在し、次に経済移行過程国、新興工業国に所在している。複雑にしているのは自然な比較優位のみでなく、政府の政策例えば公害対策などによって影響を受けることである。ただ、先進国においては一般的な産業における公害対策費は生産コストの1%を越えることはなく、最も悪い公害型産業にあっても5%程度である。この程度のコストの差が大きな影響を及ぼすとは考えにくい。そうであれば、自由化は、厳しい公害規制に関わらず、資本依存型の公害産業を先進国に立地させる誘因となる。
例外はあるが、実際のデータが公害産業の先進国から途上国への移転という考えを否定している。汚染型産業の先進国における負担割合はおおむね75%―80%で近年固定しており、90年代には少し上昇気味である。
しかしながら、多くの公害産業が規制の厳しい先進国に立地しているからといって排出量が減るとは言えない。各国は一義的に自国に悪影響を及ぼすSO2やNOXなどについて厳しい規制をするが、CO2については同じように削減コストを負担するとは限らない。言い換えれば、産業の立地の如何に関わらず地球環境問題の解決に幻想をもってはいけない。
貿易による所得は環境コストを上回る
興味深いのは、貿易による所得の向上は原則として公害対策費を上回ると言うことである。このことは様々な経済的なシミュレーションで証明されている。言い換えれば、貿易と環境対策を組み合わせることによって自然環境に影響を与えることなく消費を拡大することが出来る。少なくとも貿易と環境については本来的な矛盾は無いと言うことである。むしろ、問題は環境問題に取り組む政治的枠組みの問題である。
経済統合は環境政策を阻害するか
経済の国際化により企業は自由に移動可能になるため規制が不十分となるとの指摘がある。この議論をここで検討する。
どこにでも移動できる者に、規制や課税をすることができるかという、基本的な問題から検討してみよう。厳しい規制は産業を移転させ雇用や所得を減少させるが、一方では、緩い規制は環境汚染をもたらす。この矛盾を解決するには、70年代の前半以来いくつかの国で試みられ成功を収めてきたところであるが、規制の権力を地方から中央に移転することである。理論的にはこのことで3つの問題が解決し、1つの問題が発生する。まず、地方ごとの投資と雇用の破壊的な競争により、きわめて緩和された規制水準となることが防げる。第二に、このことによって、地方で解決できない、地方の境界を越境する汚染問題を解決できる。第三に、規制可能な大きさの経済となる。環境問題は大変複雑で深い専門知識を必要とするが、地方で常に対応することが困難である。しかし一方で、画一化した基準により、地方に応じたきめ細かで柔軟な対応を阻害する可能性がある。国レベルでは、まして、国際的なレベルでは、生態的・経済的な条件が大きく異なる可能性があるので、この点は重要である。
多くの汚染物質が国境を越え文字通り地球規模の問題となっている。それ以上に、以前は資本は国内でのみ移動可能であったので、環境規制や税制が国ごとに異なっていることが可能だったが、貿易と投資の障壁が少なくなり国際的な移動が容易になってきた。環境主義者の主張は、これ以上自由化し移動性や競争圧力が高まれば、政府による規制の努力が阻害される、というものである。もっと悪い場合は、適切な規制の強化ができないばかりか、規制を緩くすることとなる可能性がある。
我々この問題を4つの側面に分けて検討した。厳しい環境規制が先進国の競争力を阻害するか。汚染型企業が緩い環境規制を理由に先進国から途上国に移動するか。環境基準がrace-to-the-bottom仮説に基づき、引き下げられるか。あるいは、仮にそうでなくても、Regulator chill 仮説に基づき、世界経済の統合化により各国の環境問題への取り組みが弱まることになるのか。
環境政策の競争に与える影響は微少
規制の相違による競争力の懸念に関する限り、一般的に議論されていることは誇張されている、というのが我々の結論である。上記のように公害対策費は生産コストの数パーセントにすぎず、仮に途上国の対策コストがゼロであったとしても、その差は少ない。競争の圧力と同様規制の圧力は様々な革新の原動力となりコストの削減となる。規制が追加的コストを全くもたらさないということはないが、この傾向は経験が証明している。コストはかかるが社会や生活の質に好影響を与えている。規制の手法もコストに影響をあたえる。命令と管理という手法は、近代的な市場を基盤とした規制に比べてコストがかかる。
その上、一般の議論がコストに焦点を当てているが、収益面においても環境面でのリーダーが収益を減じているということにはなっていない。一つは消費者がグリーンラベルに支払いをするようになったこと、二つには、ISOなどの手段によって保険料の減額、公共需要の増大などの裨益をしている理由による。
また、環境コストを削減するため公害型企業が先進国から途上国へ移行するということを実証する事例も少ない。途上国は投資の純受け取り国であるが、投資は労働集約的企業が中心となっておりこれらの企業は普通公害型ではない。公害規制については海外投資にとっては二次的な決定要素である。
多国籍企業は全体的に経費を節減するため、すべての工場における生産技術を標準化する傾向にある。また、技術の選択は現在の基準に基づくよりも近い将来の予測に基づくものである。投資の時点で最高の技術を導入する方が後で導入するより合理的である。さらに、特に環境団体の活動が活発な国を本拠にした多国籍企業は市場における評価を懸念するようになってきている。投資市場など市場の力はコストを削減するより環境への配慮を評価する。例外はあるが、近年潮流は変化している。これらの変化は、世界中の環境NGOの活動により、消費者が製品と企業を環境面から評価することに敏感になってきたことにおるものである。一言でいえば消費者の嗜好は企業の嗜好なのである。
しかし、環境政策は競争の危惧により失敗する場合もある
市場の力がすべての問題を解決する力を持っているというのではない。政府は汚染や天然資源の劣化を防ぐための規制を適切に実施する必要がある。ここに政治的なジレンマが発生することとなる。政治家や選挙民が、環境規制により国内産業が崩壊すると考えた場合、新たな規制の導入を支持するのが困難となる。そしてこのことは貿易と投資が自由化されて産業の移動性が高まった場合、さらに困難が増加することとなる。
往々にして、企業は環境規制に際し競争力への懸念という形でロビー活動を行い、それで成功を収めてきたケースもある。どれほど深刻なのか。競争力に関する懸念のため環境基準を適正に引き上げられない、あるいは、政府が競争に関する悪影響を相殺するため貿易政策に保護主義的政策を包含するとしたら、大きな問題である。しかし、競争に関する懸念は、もし各政府がそれによって個別に行動することが困難と感じ、協力して環境問題に取り組もうとするとするなら、前向きの力となる。たくさんの多国間環境協力協定の存在(現在216ある)がこの方向への証となっている。環境政策は70年代にローカルなレベルから連邦のレベルに移行したように、現在国レベルから国を越えるレベルに移行する必要がある。しかしながら、政府が危機感を持たない限りこの種の国際的な協力は困難である。
経済発展は困難へ一歩か解決への一歩か
経済成長に関しては、この2−30年間の間経済成長の持続性に関して懐疑的な報告書が多数世に出た。もっとも影響力のあったのはローマクラブによる「成長の限界」であった。このままの成長が継続すれば化石資源が枯渇すると指摘した。同報告書はさらに、地球の公害処理能力は限界に達しており、何らかの対策が講じられない限り破局を迎える、と指摘している。簡単にいえば、成長と環境はどちらかを放棄しない限り衝突を起こすという指摘である。
30年が経過し、これらの指摘のうち化石燃料にかかる部分については新たな資源の発見や省資源の技術開発によって尚早であったと認識されており、問題は、地球の気候への重大な影響を考慮して、潤沢な資源を燃焼させられるか、に移行している。触媒による自動車排気ガス浄化装置、排煙集塵装置などを義務づけられた国においては大気汚染にとってこれらの技術が有効であることを示している。
しかし、たとえ誇張がされていることが明らかでも、これらの指摘は貴重なものであった。これらの指摘によって各国政府は環境法令を整備することとなった。また以上に多くの地域で適切な環境基準の導入が遅れている。また、長期的にみれば環境的配慮が欠けた成長は持続しない。多くの国で環境保護が不適切な原因の一つは低所得である。ぎりぎりの生活を送っている国は、資源の一部を環境対策に回す余裕がなく、また豊かな国が作り出した地球環境問題の解決のために自国の成長を遅らせるべきであると考えるはずはない。
いずれにせよ貧困が問題の核心にあるなら、成長は解決の一部となる。実際の経験に照らせば汚染は発展の初期の段階に発生し、所得が一定になれば減少する。この傾向は環境クズネック曲線(EKC)として知られている。
いかにして貿易は成長と環境の論争にまきこまれたか。
貿易はこの論争にいくつかの理由で巻き込まれることとなった。もっとも直接の理由が、貿易が成長の推進力であること。次の理由は貿易が環境クズネッツ曲線(EKC)の形と関連性に影響を及ぼすことである。ある汚染物質に関して先進国が享受している変曲点は、公害型産業が途上国へ移転することが背景となっていると考えられる。もしそうなら、次に続く高所得発展途上国はEKCのピークを越えることが難しくなり、次の後発国はきわめて難しいということになる。世界全体でいえば逆U字型をした仮説は想定しがたいということになる。もう一つの理由は環境政策形成の政治経済学である。競争の圧力は環境基準の上昇に歯止めをかける可能性がある。自由化による成長がEKCを生み出す基本的なメカニズムを消滅させる可能性があるのである。
経済成長は解決策の一部、しかし主として地域的な環境対策についてである
現実の実態がクズネッツ曲線の仮説を支持するかどうかは一概にいえない。ある環境指標では仮説を支持することとなるが別の指標ではそうはならない。都市の大気汚染や河川の汚濁などが逆U字型を示し、二酸化炭素などの地球規模の汚染物質はそのとおりにはならない。要約すれば各国は、自国内に影響する汚染物質に対しては対策を講ずるか、地球規模のものについては関心を示さない。後者についてはモントリオール議定書に基づく国際協力が明るい希望を与えている。
環境劣化を回避するためには経済成長のみでは不十分
クズネッツ曲線の考えは、経済成長をすれば必然的に環境問題が解決するといっているわけではない。生産者と消費者の経済的インセンティブが高所得となっても変化がないならば汚染は進むであろう。経済成長のみでは不十分で環境政策が集中されねばならない。
この点で民主的な政治プロセスが重要である。政策に説明責任を持たない政府では環境政策を向上させることは難しい。最近の研究では、同じ程度の所得の国を比較すると、所得配分が偏り、教育程度が低く、政治的市民的自由の少ない国ほど、環境が悪いという結果となっている。さらに、政治的アクセスの変数は、一人あたり所得と環境の質の相関を弱めることとなる。このことは、EKCの関係は、所得レベルそのものに依存するより、経済発展に伴う制度的民主的変革に関係することを示唆している。
もちろん、この関係は国内問題に限ったものではない。二酸化炭素の排出などによる温暖化になど地球レベルの環境問題はターニングポイントが高いという点を想起されたい。この解釈の一つは、人々は温暖化などに関心がないということである。もう一つの理由は国際的なレベルの枠組みが脆弱なため各国はただ乗りを求めているということである。事実WTOが環境紛争の焦点のひとつになっているのは、WTOが貿易に関する強制力を背景にして統合した意志決定メカニズムを持っているというのが一つの理由である。
環境劣化を回避できるのは政治的な成熟が必要
環境政策の政治的障害は誇張されているものではない。先進国において様々な汚染について改善に向かう変曲点は、問題が国民的議論になってきた時点だといえる。CFCの排出については変曲点は12000−18000ドルである。これは、モントリオール議定書が署名された時点の先進国の所得に他ならない。また、二酸化炭素については変曲点は数万ドルとなると考えているが、現在のところエネルギー消費と所得が比例していることを考えるものの、世論の高まりとともに近い将来削減されるであろう。このことは、各国が京都議定書を真剣に守ろうとするかどうかにかかっている。結局、環境クズネック曲線は自然の変曲点を持っているのではなく、途上国に対する技術移転など適切な環境対策をとるだけ政治的に成熟しているかどうかに依存している。、
すべての経済成長が環境に優しいわけではないことを念頭に置くべきである。天然資源をたくさん消費する経済成長は、単位あたりの投入量と排出量を削減する技術開発に支えれれないかぎり環境に優しいとは言えない。このような成長は持続可能な方向に誘導する経済的なインセンティブなしに達成することはできない。
貿易は積極的な役割
貿易は環境に優しい技術の普及を推進することを通じてこの点で積極的な役割を果たすことができる。もちろんそのためには各国が近代技術や環境サービスについての障壁をなくす必要がある。新たな貿易自由化協議のラウンドはこの点において貢献できる。もう一つの新ラウンドの貢献は環境を悪化させるエネルギー・農業・漁業などの補助金についての取り扱いである。これについては環境と経済の両方に寄与するであろう。
多国間の環境協力こそが前進への道
最後に貿易と環境の議論の核心を要約しているロング(1995年)の見解を引用しておこう。OECD環境閣僚会合の中で、ある閣僚は次の通り語った。彼の国は他の多くの国と同様、1992年の地球サミットにおいて持続可能な開発に従うと誓約した。その方向に向かうような行動と技術の変化を推進しようとすると、すなわち、環境コストを内部化しようとすると、緑の保護主義者、国内競争力の破壊者のレッテルを貼られる、といっていた。
簡単にいえば貿易や経済成長は問題ではない。より統合された経済の中で環境政策をどう立案するかという問題である。今後の歩むべき道は国際的な環境協力のメカニズムと制度を強化してゆくかである。ちょうど50年前に貿易に関する協力が利益になると決定したように。